昭和30年5月11日午前7時、四国と本州を結ぶ宇高連絡船で客貨船紫雲丸と貨物船第3宇高丸が衝突し、紫雲丸が沈没、168名が犠牲となりました。そのうちの108名は、修学旅行で乗船した、小学校・中学校の生徒たちと先生などでした。 私たち、愛媛県西条市庄内小学校の生徒及び引率の先生など83名も、この事故に遭遇し、生徒29名とPTA会長1名、合計30名が犠牲となりました。 それから、50年以上の歳月が流れました。 私たち生存者は平成21年3月までに全員が65歳以上となり、「高齢者」の仲間入りをしました。 私たちにとって、小学生は孫の世代となりましたが、通学に励む元気で純朴な小学生の姿などを見るにつけ、同級生がいかに幼い時に事故に遭い、犠牲になってしまったか、いまだに心が痛みます。 紫雲丸事故の原因は、春に瀬戸内海で発生する濃霧と船長の操船ミスであると言われています。確かに、直接の原因はそうなのでしょうが、背景には、当時の国鉄の姿や安全より復興を重視する社会の姿があったように思えてなりません。 追悼録「いでたちしまま」は、事故50回忌となった2004年5月に、庄内小学校生存者の有志で制作し、ご遺族の皆さんに配布するとともに、西条市(当時は東予市)の関係者の皆様など、多くの方にお読みいただきました。それから5年以上が経過しましたが、全国の方にお読みいただけたらたらと思い、ホームペイジ作成を機に掲載することとしました。 少し長い記録ですが、お暇な時に、ご一読いただければと思います。 いでたちしまま 目次
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